今ではある程度落ち着いてきたころですが。一時期はコロナが大変猛威をふるっておりました。基本的には外出を控える動きがあり、公的な学校やカウンセリング施設は休止せざるを得なくなりました。カウンセリングなんて、なにより限られた空間で人と人が会うのですから、ある意味仕方ありません。しかし、そうはいっても困っている人はいるし、そんな事態ですから尚更でした。そこで公的にダメなら、私的な施設を自分たち作ってしまおうということ「へんなの」ができました。立案➡実行がこんなに早いことがないくらいの早さで出来上がりました。

 施設の名前はもともとは、何かがこの空間で育つような、息を吹き返すような、成長的な意味を込めたいということで、「芽吹き」とか「息吹」なんかが挙がっていました。しかし、恩師に易を立ててもらうと、どうも画数等がよくない・・・。困った困ったと思っていた矢先、ふと「へんなの」いうワードを誰かが発したのか、私の中に浮かんできたのか、もしくは両方か。言葉が発されると誰にダメと言われるまでもなくとんとん拍子に話が進んでいきます。名前が決まり、どういう漢字を当てたら運勢がいいだろうか・・・という話になり、易に基づいて最終的に「片治野」となりました。

 「へんなの」って言葉のニュアンスどこか面白いですよね。「あしたは、へんなのに行く日ね。」とか「へんなの行ってくる。」とか「いうこと聞かないなら、へんなの行かせませんよ。」とか普通の会話でもどこかフワフワしているニュアンスが入ってくるのに、怒っている時でさえ、やりとりがどこかフワフワとして面白おかしくなりそうです。

 片方だけ治ると書いて、へんなの。治るとしても、半分だけ。・・・しかしカウンセリングにおいて「治す」という言葉自体、合っているのかどうか疑問ではございますが。
まぁ、なにはともあれ、お試しあれ。

                                               ​文責:舎川 優悟